桂枝雀の弾け方

こちら(東京)の落語とは大分違うようで・・・
 桂枝雀の落語には、いまだに笑わされる。勿論2代目枝雀(1939年8月13日 - 1999年4月19日)のことである。
 枝雀の落語の可笑しさは、枝雀が言うところの「緊張」と「緩和」により練り上げた「振り」「口舌」「表情」等の融合した話芸の、枝雀独特の工夫の「可笑しさ」の魅力であろう。だから、師匠の落語を弟子に伝えるに際して、手真似・口真似でそっくり真似することにより伝承してきた落語界にありながら、「枝雀の芸は枝雀でしか許されない芸であるから、安易に枝雀の真似はしてはならない。」と、枝雀の師である桂米朝は、一門の若手落語家達に強く戒めていた。枝雀もことある毎に言っていた。「(私の噺は)こちら(東京)の落語とは大分違うようで・・・」と。
 落語界の雄、立川一門の古典落語が、人情物・世話物をじっくりと語る事により聞き手を魅了しているのとは異なり、枝雀の落語は理詰めではない。


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G・グールドのワルトシュタイン

グールドが登場してきた時の印象は鮮烈だった。
それまでのバッハの「ゴールドベルグ変奏曲」は、一部の演奏家を除くと、チェンバロの変奏曲のどちらかと言うと退屈な羅列であった。
ところがグールドは、この32の変奏曲の一曲一曲のどれもが、それぞれの輝きをもった変奏曲である事を、説得力ある解釈と演奏で教えてくれたのだった。
当然当初は、「この変奏曲を勝手にこんな弾き方をして良いのか?」という批評家も少なくなかった。
極く一部の人だけが彼の「ゴールドベルグ変奏曲」を評価したが、多くには無視された。更に中には、それまでのバッハの演奏に携わっていた人々を中心に、不評とグールドの演奏スタイルに対する酷い揶揄で笑い物とされた。
私にとってグールドの魅力は、コンサート用の演奏になっていたバッハの音楽を、それが作られた環境に合わせて
再構成して見せたところにあった。

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E・ギレリスのワルトシュタイン

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五島みどりのシャコンヌ

私にとって最も納得のいく演奏をしてくれる演奏家は誰だろうか?
という私の音楽の聴き方は間違っていると気がついてから、もう大分になるが、依然として直っていない。
私が演奏家に要求する基準はどれも当たり前の事である。
特にピアノで言えば緩徐楽章でもテンポが崩れない事。打鍵時の各音の立上がりが pp でも明確な事。ペダルを多様しない事。等々である。
ヴァイオリンで言えば、エッジを効かせて強く弾いても、音が決して割れない事。等々である。
それよりも当たり前の事なのだが、まずその曲をその演奏家なりに「歌っているか?」、「演奏している音が生きているか?」という事である。
以外に思うかもしれないが、これが殆どの演奏で出来ていない。音楽家と言えども生活の為に録音しているからなのか。一面当たり前の事なのだろうが、寂しい事でもある。
楽しみにしてきた演奏がある。

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立川談志の芝浜 (2007年12月18日よみうりホール)

鬼気迫る「芝浜」

この日の「芝浜」は、後日(同年12/21)立川談志自身が、
『先日の「芝浜」は不思議なくらい旨く出来た。』
『あれは神様がやらせてくれた最後の噺だったのかも知れない』
と、語ったほどの「真迫の芝浜」だった。
 
東京生まれの人間だったら12月は「第九」じゃない、「芝浜」だね。
2007年12月18日、念願の談志の「芝浜」を聞く事ができた。
12月の談志の高座に誘ってくれる人がいたので、東京よみうりホールへ行って来た。(一階の前から2列目、中央付近の上席だったよ。)

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とうとう壊れたんじゃねえか?

この日の「芝浜」は、家元らしい「語り」迄削ぎ落としたような、面白い出来だったね。

毎度のように、話し出しが億劫な風情で、とりとめもない枕から入り、
噺の肝心の所では談志らしく、噺の描写を削って登場人物の会話だけになり、
次第に顧客を掴んでいったね。そして、
「え?」とか
「う・・・」とかだけの身振り手振りになって行く。
更に行くと人物の会話も少なくなって、指先の動きや目の動きだけで話は進むんで、うかうかとして、演者の仕掛けを見落すんじゃねえかと、目が全く離せない噺だった。
おまけにこっちは歳んせいで目ぇがいけねえんで、細けえところがよく見えねぇと来た。
そうやって客の注意を思い切り引きつけておいて、家元は驚かしゃがったね。
今まで談志の演る「芝浜」を見た事が無かったんで、話の終わりの方で、カミさんが急に両手で顔を覆って大声で泣き出した所では、俺ぁ家元がとうとう壊れたんじゃねえかと思った位ぇだぜ。
昔から談志を聴いて来た人には、堪んない噺の進行だったんじゃないかな。

ちょうど枕で家元も言ってたが、「芸人は芸で狂えなきゃ駄目」なんだ。
だから、「芝浜」のカミさんのこの唐突さは、俺にも大歓迎だ。
同じ日の枕で、家元はこうも語っていた。「弟子は俺程狂っちゃいねぇ」とね。
そりゃアタ棒なんだ。だから彼らは、あんたの弟子をやってるんじゃないか?
しかしこう言えば、あんたももっと可愛かったと思うがね。
「誰とは申しませんが、皆様もご存知の如く最近志の輔とか談春とか志らくとか、
時には私より上手く狂う弟子供が出て参りまして、私も寝首を掻かれそうでございます」とか何とか・・・

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「芝浜」は噺家を食うんだぜ

 と、ここまでこのブログを書いた所、この日の高座をご案内下さった方が、早速メールを下さいまして、
  『あの日、談春も志らくも袖で聴いていて衝撃を受けたそうです。』
 
そんならあん時家元は、客席にいる我々に向かって話してたんではなくて、舞台の袖にいた直弟子達に向かって、「芸人なら芸で狂え」って叱ってたんだね!
ああ、それなら合点が行った!お詫びして前言は取り消します。
しかし、あの「芝浜」が聞けた弟子達は最高だったね!当日高座の「芝浜」と同時に進行していた、もう一つの立川流楽屋話があって、それを垣間見たような気持になったね。
これも又聞きの話なのだが、この「芝浜」を聴いてた立川流四天王の一人は、「天狗の鼻を叩き折られた」と後日述懐したそうだからね。この日の家元の「芝浜」を肥やしにして、弟子達はそれぞれの噺の工夫に励むだろうから、それがまた楽しみな訳だね。
ところで脅す訳ではないが、この「芝浜」って噺は噺家を食うんだぜ。
冗談じゃない、分かってると思うが、既に一人死んでるんだ。「芝浜」はそういう噺なんだ。 だから、お弟子さん達も負けてないで、是非心して演ってもらいてぇと思うんだよ。

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働くしかない人間の真っ当さ

この日の「芝浜」は、三代目桂三木助の噺を踏んでながら、家元は歳食っても新しい話の工夫をしてたね。話がおジャンになるのを覚悟で、新しい工夫を演ってる。嬉しいね。流石家元だね、そこんとこはほんとに頭が下がるよ。なかなか歳ぃ食ってから出来るこっちゃないぜ、これは。
先ず三木助噺に出てくる、主人公が芝の浜で顔を洗うシーンについて、「潮水で顔は洗わないんじゃないか?」とか「活きのいい魚が、生臭いかよ?」という家元の指摘は、正鵠を射ている。確かに洗った後で塩分がべたつくので、いくら魚屋でもいや魚屋だからこそ、海水で顔を洗おうとはしないだろうし、魚屋だからこそ、活きのいい魚なら生臭いとは思わないだろう。

潮水で顔を洗うかどうかって話は措いとくとしても、三代目桂三木助が演ったカミさんが「良妻賢母」だってのは聞いた風な話だが、三代目三木助が演ったカミさんの、一体どこが「良妻賢母」なんだい?俺には、「せめて普通の暮らしをしたい」と思っている「普通の貧乏人」だと聞こえるがね。働いて稼いだ日銭でおまんまを頂く、そういう暮らししか頭にないカミさんだから、この噺が活きてくるんだよ。
拾った大金でちぃとでも楽をしようってぇのは気持ちが悪りぃんだよ。志ん生の「芝浜」のように、この話はそこんところが聞こえて来なくちゃいけねや、なぁ?大家の話に噺の筋を膨らますのもいいが、噺の芯のところは、カミさんのこのマットウさの語り方が大事だと思うね。
そこへいくと「筋金入りの貧乏」だった志ん生は、流石に貧乏人を良く解ってると思うね。言っとくけどどんな「芸」も、その元んところは、人生の「土壇場」や社会の最底辺からしか産まれて来ないんだよ。金持ちは芸を広げられるけれど、新しい芸は産み出せねぇんだ。だから落語も「貧乏」が解らなくなっちまうと、後はどんなに趣向をこらして噺を頭でひねくりまわそうと、先細りしかねぇんだよ。
最近の、特に若い噺家には、そういう「働くしかない人間の真っ当さ」が、見えなくなってるんじゃないのかね?だから、カミさんが自分がついた嘘を3年も支えている心裏が理解できなくて、噺の運びに苦労している。そこの話をどう「創っていくか」が、この噺の話し手の人格に関わる事だとも思えるぜ。
カミさんが、自分がついた嘘に苦しむのは大事な描写だとしても、談志の「芝浜」は、昔から「大家」の役割で工夫しているね。
更に踏み込んで言えば、俺ぁ三木助の「芝浜」に慣れてしまったせいか、談志のやる「明日、大家さんに礼に行こう、な?」の件には、ちぃとボケた話に聞こえてくるね。
あれじゃ聴き手が受ける折角のカタルシス効果が、ガクッと弱まるんじゃないかと心配になる。 (逆に談春のように「談志のカミさんに衝撃を受けた」と言う方も、居られるだろうけどもね。)
「拾った大金は、出所が怪しい気持ちの悪い金」として3年経つ方が、俺としてはシックリ来るね。
日常の「銭」では苦労するが、大「金(銀?)」には拘らないというのが、いいんじゃないのか?
 
「『ありがてぇ。(拾った)その金で呑める』なんてやに下がっているお前ぃさんなんか、私しゃ見たかぁないんだよ!」
「情け無いねぇ! 本当に酔っ払いたいんなら、夢で拾ってきたお金や、私が借り集めてきたお銭々で酔うんじゃなくて、お前ぃさんが自分の腕と足とで稼いできたビタで、堂々と酔っ払ったらどうなんだい?!」
「貧乏だけれど機嫌よく働く、そういうお前ぃさんをいつまでも見て居たくて、私ぁ一緒になったんじゃないか!それなのに情け無いねぇ!近頃のあんたは、一体どうなっちまったんだい?!」
カミさんに、こんな啖呵を切らせられる噺家は、もういねぇのかなぁ。
 
たった3年で、借金を返して表通りに、小さいにしても店が出せたものなのかどうかは措くとして、3年後のゆとりある大晦日を迎えられたのは、誰のお陰でもないんだよ。
魚屋としての生き方の気風みたいなもんを夫婦して貫いた結果、彼らの生活が自ずから立直った、そういう噺なんだと思うね「芝浜」は。俺は家元の「芝浜」を聴いてて、そう思ったね。

だから有名な下げの「よそう。また夢になるといけねぇ」を神妙振らずに、逆に魚屋らしく「その手は二度と食うもんか」とでも言うように、談志があっさりと言ってのけたところなんぞは、思わず「旨い!」と唸ったね。俺ぁ、この日の談志のあの下げの一言を聞いただけで、
「聴きに来てよかった」と思った位だったぜ。
「芝浜」は「お酒を飲むのはやめましょう」って噺ではないんだぜ。「働く事を揺るがせにしちゃなんねぇ」って噺なんじゃないかな?

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談志の本当の魅力

この日はまず、家元の「ご機嫌」を心配して出かけたね。
けれど冒頭で紹介したように、数日後に談志自身が語ったほど、この日の「芝浜」は良い出来だった。
しかし、私をお誘い下さったお方には申訳ないんだが、私ぁ先ず、「勿体無いなぁ」と家元に言いたいね。定例の「体調報告ともうダメだ宣言」らしいけど。何と言うか、もう一つ工夫ができねえのかなぁ。客があんまり気にするので「体調報告」をするにしても、話ん中で何気なく腕まくりするだけでいいんじゃねぇのか?そん時に更に一言付け加えるとしても、「こんなに痩せました」は無ぇだろう?そう言う話は、舞台裏で弟子達とヒソヒソとやっとくれって言いたいね。高座から客に向かって「体調報告」するとしても、「まだこんなに肉が付いてらぁ」位がいいんじゃないのかな?
その方がまだ談志らしい心意気が見えるってもんじゃないか?

散る櫻 残る櫻も 散る櫻  (良寛:辞世)

と言うより、綾小路きみまろじゃないが、

「人の死亡率は100%」 と、言おうかね。 

お客は芸人の病気の事なんか、ほんとは知らなくたっていいんだよ。
あんただけじゃ無いんだよ、遅い早いはあっても、誰だって皆んな冥土に向かってんだ。言わば俺達ぁ皆んな、あんたに着いてってるのさ。中には、あんたを追い越す奴だって、今あんたを聞きに来てるのさ。
芸人がおっ死んだ後んなって「ああ、あん時の○○が高座に出遅れたのは・・・」とか、「そう言えば、まくった腕が随分と痩せてたなぁ・・・」とか思い出せれば良いんだよ。後んなって「俺はそんな○○の「芝浜」を聴いたんだぜ」って言える位の、芸人と客との間は、そん位えのところがいいんじゃねえのか?
禅に「喫茶去」という語があるようだが、さしずめ「笑話去」とでも言おうかね。
それに言っちゃ何だが、あの枝雀だって、肝心な事は何も言わずに逝っちまったんだぜ。話しが商売なのが因果だとは思うが、俺ぁそん位えの関係がいいんじゃねえかと思うよ。

噺は「話し手」と「聞き手」の産物だぁな。最後に家元は言ってたね。
『また違う芝浜がやれてよかったと思います。』
ところが、余程旨く行ったのか、その直後にまた甘い事を言ったね。
『アドリブでここまでできる芸人を早く殺しちゃもったいない。』 だって。
「殺す」?誰もお前を「殺し」なんかしねぇだろ?
家元特有の「照れ」だとは思うけれど、折角出来の良い噺だったのに、これでまた男をちぃと下げたって感じがする。勿体無いね。

でも、談志が立川流をやっている本当の値打ち・魅力は、実はこの辺にあるような気もするね。
談志は、人間の業とういうか「ありのままの人間の不様さ」の上で落語をやろうとしているのは確かだと思うんだ。ズパッととんでもない事も言うが、無様なところも隠さずさらけ出す。これが談春がその自伝的著作「赤めだか」の中で言っている「談志は揺らぐ人だ」という事かもしれない。親分が平気で揺れ動くんだから、弟子たちは慣れないうちぁ大変だ。だが、慣れちまえば、こんな魅力的な師匠はねぇだろうな、とも思うね。
どんな時でも家元の話をしていれば、それがそのまま噺の根多になるなんて、芸人冥利に尽きるってもんだな。

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芸に狂ってるんじゃねぇか!

更にカーテンコールをやって、
『一期一会、良い夜をありがとうございました』
やはり、自分でもよほど感じるところがあったんだね。

こうは書いて来たが、
この日の「芝浜」を、生で聞けなかった談志ファンの方々は、ほんとに残念だったね。
2007年12月18日の談志の「芝浜」は、談志の生涯に残るような「鬼気迫るような芝浜」だったと思うぜ。人間覚悟が決まると、使う「一期一会」の言葉も意味がグッと深まるもんだが、この時に「一期一会」とは談志も良く言ったもんだ。
家元が一所懸命なので、こちとらも真剣で言わなきゃなんねぇ訳さ。俺がくどくどと書いたのも、つまりは「命を惜しむより、名を惜しむ時期では?」と言いたいのさ。だけれど、家元の「大きなお世話だ。命や名を惜しむより先に、芸に狂ってるんじゃねぇか!」と言うダミ声が撥ね返ってきそうである。
 
この日も最後列に撮影隊が来ていた。 だから、この日の「芝浜」は後日DVDになって、より多くの落語ファンを楽しませる事になると思うね。特に途中から終盤にかけての会場の緊迫した雰囲気まで旨く収録・編集してくれると、良いDVDになると思うよ。
という事は、あの噺をDVDにする技術者も、見識・腕前を問われると言う事だね。
撮影隊はどうやらNHK-hiだったらしい。2008年3月9日(日)NHK-hiチャンネルで、1日で10時間もの家元特集番組をやるらしい。その中で、「芝浜」ほか、最近の家元の落語を数本放映するそうである。
「立川談志きょうはまるごと10時間」
こいつも楽しみだぜ。どうせ「芝浜」を演るのなら、この日の「芝浜」を演って欲しいものだね。

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レオニード・コーガンのシャコンヌとガルネリ・デルジェス

ガルネリは音が見える
「私は、レオニード・コーガン(Leonid. Kogan)のガルネリ・デルジェスを弾いた事があります。
弾いた途端ヴァイオリンの音が、ホール(京都会館・第一?)の舞台から最後尾の壁まで、真っ直ぐに飛んで行くのが見えました。」
 
もう40数年前になるがその大柄な高校生は、人差し指を真っ直ぐに前に突き出して、京都会館大ホールの後ろの壁に向って飛んでいくヴァイオリンの音を模しながら、そう私に言った。
彼もヴァイオリニストの卵だったので、プロのヴァイオリンが「鳴る」事は知っていただろうが、予想以上のその「鳴り方」に驚いて、「レオニード・コーガンのガルネリは音が見えた」と言ったのだと、その時私は思った。
その後考えると、ガルネリ・デルジェスは同じヴァイオリンの銘器・ストラドバリウスとは異なり、「鳴らせる」ようになるには、ある程度弾き込まなければならないのだとか。高校生が初めてガルネリを弾いて「満足な音を出せた」事をこそ、その時彼は私に言いたかったのかも知れないが、とにかく彼は「ガルネリの音が見えた」と私に言ったのだった。
 
1965年頃、京都市立堀川高校の旧音楽課程(日本最古の音楽高校で、現在日本で唯一の公立音楽高校との事)は、まだ京都・平安神宮の西隣接地の武徳殿の敷地内にあり、当時私は貧乏学生で、その音楽高校で夜間宿直のアルバイトをしていた。当時の岡崎キャンパスは現武徳殿とともに、旧市立音楽短期大学(現京都市立芸術大学音楽部)も併設されており、両音楽校の校舎とレッスン室が一つの敷地内に点在していて、背の高い木々が沢山ある目立たない静かな一画だった。
夏の夕暮れなどには、キャンパスのあちこちで、学生達のグループが思い思いにアンサンブルを組んで練習したりしていて、クラシック好きの私をうっとりとさせる「極上の職場環境」だった。
私は夜半の宿直の見回り時には、敷地内のそれらレッスン室内のピアノを弾いて回るのを秘かな楽しみにしていた。京都は先の戦争で空襲を免れた為だそうだが、この2校には良い輸入ピアノが沢山集まっていた。学生達が下校した夜半などに、無人になったレッスン室の部屋から部屋へ、私は「見廻り」をかねて各室のピアノをガンガンに弾いて廻ったものだった。私のピアノは我流でひどいものなのだが、どのレッスン室も防音工事が施されており、また隣地は平安神宮だったので、夜中にいくら激しく爆音を出そうと、ピアノ騒音問題等はここでは起きなかった。その上多くはなかったが、バイト代まで頂けたのである。
同じ頃レオニード・コーガン氏が来日し京都に来た時に、日本の若手ヴァイオリニストにレッスンをつけた事があり、前述の高校生はそのコーガン氏のヴァイオリンのレッスンを受け、その時にコーガンのガルネリを弾かせてもらったと言うのである。
 
ヴァイオリニストは自分で音を作る。
だから、プロのヴァイオリニストならば、どのような音を出しているのかに、彼または彼女が、どのようなヴァイオリンと弓を選んでいるのかを含めて、そのヴァイオりニストの音楽に対する見識と姿勢が表れる。そしてこれに異論は少ないと思うが、ヴァイオリニストの作る音が良く判る曲の一つが、重音が続くバッハの「シャコンヌ」だと、私は考えている。
「シャコンヌをどう弾くか」で、ヴァイオリニストを判定している方は私以外でも多いと思います。
 
コーガンを語らずして、シャコンヌ無し
私が持っている「シャコンヌ」のCDは多くはない。(録音年)。L・コーガン(1959)、G・クレ-メル(1980)、N・ミルシュテイン(1973)、A・グリュミオー(1978)、D・シトコエヴィツキー(1984)、H・シェリング(1968)、H・ハ-ン(1997)、R・リッチ(1957)、Y・メニューイン(1936)等、10枚にも満たない。こう並べるだけで私のヴァイオリニストに対する好みが分かると思うが、これらの「シャコンヌ」を聴き比べた結果、私は、L・コーガンの「シャコンヌ」が、最も気に入っているのだ。
ネット上には、ヴァイオリニストやバッハの「シャコンヌ」についてのページは沢山ある。ところが幸いな事に「レオニード・コーガンのシャコンヌ」についての記述が、日本のネット上には見当たらない。中には、「コーガンのバッハの無伴奏の録音は存在しない?」とまで書いてあるページもあった。どっこいである、最近では動画のUPが盛んで、幸いにもコーガンのシャコンヌの動画がUPされている。シャコンヌ-1シャコンヌ-2である。いつ迄UPされているか不明だが、見られる間はご堪能あれ。
私に言わせれば「コーガンを語らずして、シャコンヌ無し」である。正に画竜点睛を欠くとはこの事である。
「それならば、日本では俺が書いて置かなければいけねぇ」と思い立った次第である。
 
コーガンはヴァイオリンならガルネリ・デルジェス(Guarneri del Gesu)を愛用し、2挺も持っていたそうである。(1726年製の愛称「エクス・コラン」と1733年製の「エクス・ブルメスター」)当時、私はそれを知らなかったので、前述の高校生が弾いたコーガンのガルネリは、どちらのガルネリだったかは尋ねなかった。
ところでこの、ストラドバリウスよりも「ほんの少し」小ぶりで、時としてストラドより高価で、ストラドより多くの野心的な演奏家を惹きつけてきたヴァイオリン、ガルネリ・デルジェスとは?こんな楽器だそうである。(1744年製 Cremonaの画像) 
緊張感のあるこの楽器についての記述は、今ではネット上にも沢山ある。謂わば名器「ガルネリ・デルジェス」(イエスのガルネリ)と言われる楽器を作ったのは、イタリアのクレモナの町のヴァイオリン職人・ガルネリ一族の中でも、17~18世紀に生きたバルトロメオ・ジュゼッペ・アントニオ・グァルネリとの事である。

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 更に言えばスタジオ・ジブリのアニメ「耳をすませば」の中で、少女・雫が図書館で調べた本に載っていた「刑務所でバイオリン作っていた人」とは、このガルネリの事だろう。このガルネリは犯罪を犯し、刑務所の中でもヴァイオリンを作成したという逸話のあった人なのだから。
   (ジブリのアニメ「耳をすませば」から →)

 またストラド・モデルのヴァイオリン同様、デルジェス・モデルのヴァイオリンも、現在沢山作られている。このデルジェスは、弾く人によってはストラディバリを凌ぐ名器となるのは、定評のあるところ。勿論コーガンのガルネリも、並のヴァイオリニストが弾くストラドを遥かに超えている。
 
Lkogan_01 その「ストラドを超えている」と感じたのは、彼のバッハの「シャコンヌ」の録音を聴いた時である (左掲CD:Live 14/2/1954)。ヴァイオリンは彼のガルネリ・デルジェス・「エクス・コラン」の方である。弓はドミニク・ペカット(Domminique PECCATTE)のフレンチ・ボウに違いない。然し残念な事に、現在残っているL・コーガンの録音は、どれも録音状態が良くない。
 
(←クリックすると拡大します)
 
この録でもない状態の録音に、L・コーガンの「シャコンヌ」は、「曲の出だしから破綻している」と感じる人があるかもしれない。然し私は、その音の力強さの割に伸びと艶・まとまりがあり、一つ一つのフレーズにも命が感じられて、大変気に入っている。勿論私には、ストラドバリとガルネリの音の違いなど聞き分けられる筈もないのだが、私が気に入ってるヴァイオリニストは、何故かストラドバリウスではなくガルネリを弾いている場合が多いのだ。
音楽には、聴き手に合う波長と合わない波長とがある。同じシャコンヌを弾くのにもH・ハ-ンのように透明・端正で丁寧な(悪く言えば18分もかかる貧血気味な?)演奏もあれば(彼女も最近は1724年製のガルネリ デル・ジェスを使用し、弓はぺカットと Paul Emil Miquelという情報もある)、H・シェリングのように朗々とした(弾いている楽器がストラドの為か、悪く言えば何が楽しいのか解らないような)演奏をする演奏家もある。どちらも良い演奏で推奨者が多いが、私には今一なのである。
L・コーガンのシャコンヌは力演であるが、悪くいえば腕白小僧が胴間声を上げてガナッテているような演奏である。ところがコーガンの「シャコンヌ」は、演奏家として「この曲はこのように歌いたい」という、彼の明確な意思・解釈が聴こえて来る演奏なのだ。
G.クレーメルも躍動感のある演奏をするヴァイオリニストであるが、そのクレーメルの演奏をもう少し力強く、緊張感のあふれた演奏にしたようなのが、L・コーガンの演奏なのだ。(G.クレーメルも最近のシャコンヌではガルネリ・デルジェスの[ex.David/エクス・ダビッド]1730年製で弾いている。)
L・コーガンの「シャコンヌ」と並び・超えるような「力演のシャコンヌ」を、私は未だ聴いた事がない。
 
バッハは、弾いて心地よい音楽なのだ
コーガンの「シャコンヌ」については、こんな事もあった。
以前勤めていた会社で、ヴァイオリンを習い始めた女性が何人かいた。
ある時その内の一人から「同棲していた彼氏と別れた」との話を聞いた。
それより前の1996年8月、政治研究家(?)丸山真男氏の葬儀に際して、コーガンに師事したヴァイオリニスト・天満敦子が、哀悼の「シャコンヌ」を演奏した事があった。
私も失恋した彼女を慰めるつもりで、L・コーガンの「シャコンヌ」のCDを贈った。
ところが次に彼女に会った時に、彼女は私に言った。
「あのシャコンヌは、傷口を掻きむしられるようで、今はとても聴く事ができません。」
一瞬、私は彼女が何を言っているのかが解らなかった。
ヴァイオリンを弾こうとする者が、バッハの「シャコンヌ」を聴けなくてどうする?失恋の痛手をヴァイオリンに活かすのなら、究極の目標としての「シャコンヌの名演」を聴き込むのは、一つの方法だろうと思ったのだが・・・。然し、
「他人がくれたCDは、聴かれない」(私の格言)なのだ。
私は彼女に何も言う事ができなかった。
その通り、彼女の言う事は正しい。
L・コーガンの「シャコンヌ」は聴く人を慰めないのだ。慰めないどころではない、却って聴く方にも、エネルギーを以って聴く事を要求するのだ。
ただ、バッハを弾いた事がある人なら、多くの人が感じている事だと思うが、バッハの音楽の不思議なところは、「聴くよりも演奏する方が、数段心地よい音楽なのだ」という事なのだ。
残念ながら、私が彼女に贈ったこの「本当のメッセージ」は、気付かれずに終ってしまったようだ。
その後彼女がバッハを弾いて、失恋の痛手を癒したかどうかは、残念ながら聞いていない。でもいつか、彼女が真剣にバッハを弾こうとすれば、私が送った「本当のメッセージ」に彼女も気がつくに違いないと信じている。ただその時私は、一体いくつになっているだろうか?
 
シャコンヌはガルネリ・デルジェスに限る
1982年、58歳でL・コーガンは急死して、もういない。
ネット上では様々な人が、色々なヴァイオリニストの「シャコンヌ」を推奨しているが、
前述の「シャコンヌ」のCDの中では、私にとってはL・コーガン以外は「今一つ」なのである。コーガン亡きあともう四半世紀以上も、私はコーガンの次の「シャコンヌを力奏するヴァイオリニスト」を探している。
 
これまで色々な演奏家の「シャコンヌ」を聴いてきて思った事がもう一つある。
それはコーガンあたりが、既に何処かで言ってしまっているかもしれないが、「シャコンヌを弾くにはストラドでは合わないのではないか?」という事なのだ。特に弓を強く引く時に、ストラドは音が広がり過ぎて割れてしまい、「音がザラつく」傾向があるような気がする。その点ガルネリは、音の広がりがストラドより少なくまとまっている分いくらか「鼻声のように」響くが、強く弾いた時にも音の通りが良いように聞こえるのだ。これと思うヴァイオリニスト、特にストラド(1716年製のex.Goldmann)でシャコンヌを力演した、N・ミルシュテイン(1992年没)のようなヴァイオリニストに会えたなら、是非尋ねて見たいものだ。
「シャコンヌを、ガルネリ・デルジェスで弾いてみたいとは思わないのですか?」と。
 
<追伸>
2008年1月、愈々五嶋みどりがバッハの「無伴奏ソナタ2番」のCDを出した。
なかなかの好演である。彼女もヴァイオリンはガルネリ・デルジェスにした(ある社団法人が、1734年製の[ex.Huberman/エクス・フーベルマン]を彼女に終身貸与した)そうである。
私は、次の彼女のバッハのアルバムは、「無伴奏パルティータ3番」と予想しているが、
「無伴奏パルティータ2番」、その内でも特に「シャコンヌ」の発売を楽しみに待っている。
その上この曲は、彼女が11歳でジュリアード音楽院に入学した時に完奏したという、伝説の曲(?)でもあるからである。それも「彼女のガルネリ・デルジェスで弾いてもらえたら嬉しい!」と期待しているのだが・・・。この願いも、私が生きているうちに叶うのだろうか?

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グールドのゴールドベルグ変奏曲

鍵盤で弾く最も美しい曲との出会い

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桂 三木助の「芝浜」

「舟遊びでの白魚の受け取り方」の枕噺
 私が子供の頃、一度聞いただけで虜になった落語の噺があった。
 当時私は10歳前後で、勿論ラジオ放送で落語の番組も多かったが、何とも知らぬその噺は、一度聞いただけで私の記憶の底に深く沁み込んだ。
 話の枕にあった「舟遊びでの白魚の受け取り方」の話や、「増上寺の鐘は金が入えっているから」とか、海岸で一服している時に朝日が上がってくる情景とか、「笹がさらさら言ってたが雪が降ってきたのか・・・」とか、噺の落ちである「よそう、また夢になるといけねぇ」とか、噺のそれぞれの細部の情景が記憶の底に沁みついたのだ。
 成人してから、私は自分の記憶に残っているそれら噺の細部の情景を頼りに、元となった噺が誰の何であるかを探しまわった。どうも「芝浜」という噺らしいということは、比較的早くに分かった。しかし演者が桂三木助(3代目)だったと分かる迄には、相当の期間がかかった。特に三木助の「芝浜」といっても、当時は30分近くに短く編集し直したカセットテープとか、その短く編集したテープから起こした落語本とかが三木助の「芝浜」として出回っており、私の記憶に残っていた全ての細部を演じている噺は、三木助の「芝浜」にも見つからなかった。
 しかし、当時出回っていた「芝浜」の多くを聞いた結果、どうやら桂三木助の「芝浜」らしいという事は分かってきたが、噺の枕で、「翁の句に 曙や白魚白きこと一寸」から直ぐに「おまいさん、起きておくれよ」になってしまって、私の記憶にある「舟遊びの時の白魚の受け取り方」の話を実際に演っている三木助の「芝浜」には、なかなか出合えなかった。
 さらに桂三木助が1954年に、「芝浜」の噺で文部省芸術院奨励賞を受けたと知って、心深く感じた事もあった。

「革財布」・「笹飾り」・「増上寺の鐘」の3題噺

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